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東京武蔵野ロータリークラブの歴史
東京武蔵野ロータリークラブ
- 創立1957年(東京地区7番目)
- 親クラブ:東京西ロータリークラブ
- 創立時のメンバー:竹崎 徹 会員以下22名
- 1970年~1971年度(第14期) 地区大会ホスト
- 1987年~1988年度 地区ガバナー 上田 正夫 会員
- 2000年~2001年度 ガバナー補佐 鈴木 照夫 会員
- 2007年~2008年度 ガバナー補佐 田宮 力 会員
- 2008年~2009年度 地区ガバナー 櫻井 権司 会員
- 2015年~2016年度 ガバナー補佐 小林 豊 会員
- 2021年~2022年度 ガバナー補佐 荒井 伸吉 会員
現在:市内2クラブ
2024年度 会員数(7月現在)29名
2021年度 創立65周年記念を迎える
拡大
- 1967年 三鷹ロータリークラブ→井の頭ロータリークラブ
- 1969年 田無ロータリークラブ→保谷ロータリークラブ →田無けやきロータリークラブ
- 1983年 武蔵野中央ロータリークラブ
姉妹クラブ
- 台湾高雄東ロータリークラブ(1970年 第13期 締結)
武蔵野市・我がクラブ
武蔵国はいつ頃から始まったのだろうか。
「日本書紀」によると紀元685年、百済の帰化人を武蔵国に置いた、という記事があり、初めて名が現れる。いまの東京都全域、埼玉県秩父まで含む広大な大国であった。
平安時代の和歌から推察すると、武蔵野は大自然の茫然としたイメージを表している。
行くすえは空もひとつの武蔵野に
草の原よりいつる月かげ (後京極摂政)
紫のひともとゆえにむさしのの
草はみながらあわれとぞみる (古今集)
律令制が敷かれ中央集権になると「調」として武蔵野に自生していた紫草が貴族のために徴収され、住民は賦役のために苦しんだ。武士の台頭とともに関東武者が勢力を広げ、頼朝が鎌倉幕府を、家康が江戸幕府を開き、長い鎖国が続いた後、明治維新を迎え、東京が首府に制定された。
明治6年、学制が公布された翌年に武蔵野には3つの小学校が誕生した。現在の安養寺、源正寺、杵築神社の建物を借りての設立で、その後、移転増改築が頻繁に行われ、現在の第1、2、3、4、5、小学校へと発展していった。
武蔵野の現状については、市で発行している資料を元に下記に示した。
- 人口密度・・・12,588人(市の面積10.73k㎡)/平成22.4.1
- 1世帯当たり人員・・・1.91人/平成22.4.1
- 1人当たり公園面積・・・1.56m2(市立公園)/平成22.7.1
- 医師・・・202人に1人(歯科医師含む)/平成20.10.1
- 商店・・・卸売・小売業34.1世帯に1店/平成14.6.1
- 図書・・・1人当たり5.2冊/平成22.3.31
(市立図書館ほか東町市民図書館室、本町図書室の蔵書を含む)
- 校舎・・・児童生徒1人当たり、小学校15.54m2 中学校23.86m2(市立のみ)/平成22.5.1
- 1日の救急自動車出場件数・・・19.45件/平成21
- 1日の刑法犯罪発生件数・・・8.7件(うち凶悪、粗暴犯0.27件)/平成21
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